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ミッショントリップで聞いたあるクリスチャンの証し

インドでは今もなお、クリスチャンに対する迫害が続いています。現地でクリスチャンの体験談を聞く機会がありました。それは、あたかも新約聖書の使徒言行録に記されているクリスチャンへの迫害が、今まさに起こっているかのような内容でした。

ハイパレテはクリスチャンでした。彼女は結婚してこの地に来ましたが、そこにはクリスチャンはいませんでした。その村では動物を殺す犠牲の儀式が行われていました。そこはまた迷信に満ちていました。その頃、この村には悪魔の働きが数多く見られたのだそうです。それが具体的にはどのようなことかというと「牛肉が、煮ても、煮ても、煮えない」というようなたぐいのことです。夫のメダスはヒンズー教徒で、妻の持っていた聖書を捨ててしまいました。2人には5年間子どもが生まれなかったので、メダスは「子どもが出来ないなら働け」と妻に辛い仕事をさせました。彼は酔っぱらっては妻に暴力を働いたので、ハイパレテは一晩中泣きつづけました。

ある時、メダスは重い病気にかかりました。ハイパレテの両親は「夫が死んだら帰って来い」と言いました。そんな時、メダスは幻を見たのです。それは2人の人が現れる不思議な幻でした。

ひとりは白い衣を着た男で、「恐れるな。わたしはあなたと共にいる。黒い女が来る。しかし彼女はあなたに何もすることは出来ない」と、言いました。すると黒い女が来ました。彼女は全裸で長い舌をたらし、手にはカップを持っていました。黒い女は「今日私はお前を殺す」と言いました。しかし、白い衣の男がその女の前に立ちふさがり、彼女を追い返したのです。メダスは癒されました。ハイパレテはその時聖霊が働いたのだと思いました。夫の両親は教会に行くことに反対していましたが、彼女は夫にイエスのことを証ししました。

その頃、ひとりの宣教師が村にやって来ました。彼は、この村に来る前にメダスとハイパレテのことを夢に見たのだというのです。そして「2人に子どもが与えられる」と言いました。メダスは「男の子でも女の子でも」と答えましたが、宣教師は「いや男の子だ」と言いました。メダスは「男の子が生まれたら、その子を神にささげます」と言いました。すると宣教師はハイパレテに水をくれました。それを飲むとハイパレテは身ごもりました。そのことが「傲慢な金持ちで、いつも人を打ち叩いていた男が心を入れ替えて息子を得た」と評判になり、メダスの村では27人がイエス・キリストを受け入れてバプテスマを受けました。

India Testimonies

メダスは、村に教会を建てました。その頃、魔術師が村に来ました。その魔術師は多くの人の病気を癒したと言って人を惑わし、「じぶんが神だ」と言っていました。人々が奇跡を求めて彼のもとに集まっていたのです。そこで、メダスは近隣の村々に伝道しに行きました。クマバチ村ではヒンズー教を信じる人たちが悪い事をしていました。悪魔の力で人を殺すのです。メダスはそこにも行きました。村人達はメダスを殺そうと思い、魔術を行ないました。(注:「どんな魔術を?」と聞くと、「ふわっと呪いの息を吹きかけたりとか」とのこと。)しかし、メダスは死なずに、代わりに福音を語りつづけ、ひとつの家族が救われました。その家の息子は今では牧師になっています。メダスの伝道は村全体を動揺させ、ついには村の指導者が呼ばれて来ました。村人達はメダスに毒を盛ることにしたのです。しかし、それでもメダスは死にませんでした。メダスに毒を盛った女性が悔い改めて救われました。その村では、15の家族が救われてクリスチャンになりました。

(注:100年前のインドの伝道者スンダル・シングの伝記の中にも、彼がクリスチャンになったばかりの少年の頃、ヒンズー教徒の親戚から毒を盛られたという話があります。彼が奇跡的に回復したのを目撃した医者が回心してクリスチャンになったとのことです。)

メダスがハネナガヒシバッタ村に行った時のことです。ひとりの村人が怒ってメダスを銃で撃とうとしました。ところが銃が言うことを聞かないので、怒りに任せてそれを地面に投げ捨てると、銃が暴発しました。その男はメダスが自分のために祈っている夢を見て翌週に救われました。彼の息子が今その村の牧師になっています。

メダスの息子のロシモンが12歳ぐらいの時(1994年頃)、ヒンズー教の暴徒が村を襲いました。メダスは頭を叩かれて、気絶しました。頭が割れて聖書が血だらけになりました。それにもかかわらず、敵はその暴動が「クリスチャンによるものだ」と言いふらしたので、メダスは逮捕され、6日間刑務所に拘留されました。メダスはその時の傷が原因で、今でも歩行に支障があります

2003年には息子のロシモンを殺害する計画があったのですが、ロシモンは守られました。そして、2008年にはメダスの村は大掛かりな破壊と略奪を受けました。さらに2009年には近隣の村々で120人ものクリスチャンが虐殺されたのです。その時も迫害された当事者であるクリスチャンの方が当局の追求を受け、牧師達が何人も拘留され、今でも拘留中の人たちがいます。クリスチャンに対する迫害は今後も起きる可能性があります。

メダスは村のリーダーとしての責任と牧師の働きを息子のロシモンに委ねました。現在、ロシモン牧師は近隣の村々の牧師達のリーダーとして、福音を伝えつづけています。メダスとハイパレテはこの話をぜひ日本から来たクリスチャンに伝えておきたいと、ある夜、時々停電で暗くなる彼らの自宅の居間で私たちに語ってくれました。メダスは「私は全ての土地と財産を失ったが、主への信仰を失ってはいない」と言いながら彼の物語を締めくくったのです。

(注:質的調査の倫理基準に従い、この記事に登場する個人名や地名は、一部を除いて、匿名にしてあります。)

ペリナ村におけるクリスチャンへの迫害

ペリナ村はインド、オリッサ州西部の山岳地帯に位置する人口300人ほどの小さな集落です。ここにはインドでは少数派のキリスト教徒が住んでいます。多くのアジアの山岳少数民族同様、かつてこの村の人たちはアニミズムの信仰を持っていましたが、キリスト教の伝道者が時々訪れては、彼らに福音を伝えるようになりました。20世紀初頭にはインドの伝道者スンダル・シングの甥と姪もこの地に伝道に訪れたといいます。

この村にキリスト教が定着したのは、1982年に村長メダスが、キリスト教を受け入れたことによります。メダスは宣教師との不思議な出会いを通じてクリスチャンになりました。その後彼は近隣の村々を伝道して回り、この一帯はキリスト教のコミュニティへと変貌しました。現在は、彼の長男ロシモンが牧師兼コミュニティ・リーダーとして彼の働きを継いでいます。

インドでは、民族義勇団(RSS)と呼ばれるヒンドゥー・ナショナリズム団体が1980年代から都市部で勢力を拡大していますが、それに伴いヒンドゥー教による他宗教への迫害が強まりつつあります。1999年には、オリッサ州で貧しいハンセン氏病患者達を助けていたオーストラリアの宣教師グラハム・ステインス(Graham Stuart Staines)が、6歳と10歳の息子たちと共に仮眠中のジープに外から火を放たれ殺害されてしまいました。

迫害の波はインド各地で起こり、オリッサ州もその例外ではありませんでした。2008年12月にはペリナの近隣の村々で教会の焼き討ちが行なわれ、死者も出ています。クリスマスには、ペリナにも400人から500人ほどの武装したグループがやって来て、破壊と略奪を行ないました。ロシモン牧師と村人たちは事前に襲撃を察知し、散り散りに付近の森に身を隠したため生き残ることが出来ましたが、建設中だったコミュニティセンターは爆破され、建設機器は略奪されました。

ロシモン牧師は当時の状況についてこのように語っています。

「隣の村が襲撃されたので、警戒していたところ、夜中に山の上から大勢降りてくるのに気づき、村人たちと三々五々森に逃げました。彼らは、建設中の村のコミュニティセンターをダイナマイトで破壊し、工具類を持ち去りました。その後、森には雨が降ってきたんです。2日間身を潜めていましたが、安全を確認して村に戻りました。すると建物は破壊されていました。襲撃者たちは襲撃後すぐに立ち去ったので、村人はみな無事でした。襲撃者たちは槍やナイフを持って徒歩でやって来たのです。それが実際誰だったのかは今でも分からないですが、彼らの目的は、この村からキリスト教の信仰を一掃するために私と私の父を殺すことだったのです。しかし、自分達はこの土地に踏み止まりました。次の年の米の刈り入れの頃(10月)、ヒンドゥー教徒たちがペリナ村にやって来ました。彼らは『この土地はもともとヒンドゥーの土地だった』と主張しながら、その年の収穫を全て奪い去っていったのです。彼らは地方行政の許可を得ていると言っていました。彼らは近隣の村に住む顔見知りの人たちでした。その後多くの調査者がこの村に来て、インタビューし、写真を撮って行きましたが、私たちのためには何もしてくれませんでした。私たちの村は貧しいままです。現在の最大の課題は村人たちのために最小限の生活の糧を得ることなのです。」

2008年、8月23日、ヒンドゥー教のリーダーが、その地方の反政府組織によって殺害されました。2007年の襲撃事件からすでに数ヶ月の時が経っているにもかかわらず、それがクリスチャンによる報復だと結論づけた警察は、村々で無実のクリスチャンリーダーたちを逮捕、拘留しました。パピリオなど近隣の村々では、ヒンズー教徒によるカトリック教会や長老派の教会に対する襲撃があり、120人以上のクリスチャンが殺害されました。ロシモン牧師は、彼の自宅のそばに孤児となった少女達を集めて養護施設を運営しています。その中には、襲撃によって両親を殺害された子どもや、無実の罪で父親が拘留されている子供達もいます。

これらの事件を受け、オリッサ州の首相ナビーン・パトナイクは、この地域を保護区にし、外部から人が入ることが出来ないようにしました。同地ではその後も数年に渡り混乱が続きましたが、現在では外国人の入域も可能になっています。現地の牧師達は、「この迫害によって自分たちは大きな苦しみを経験しているが、教会は決して滅びることなく、迫害の後この地ではさらに多くの人たちがイエス・キリストを信じるようになった」と述べています。

(2017年11月)

(注:質的調査の倫理基準に従い、この記事に登場する個人名や地名は、一部を除いて、匿名にしてあります。)