「バプテスマを受けて10年近く迎えて」

TBCでバプテスマを受けてから10年近くになります。教会に始めて来た頃は、人に対して怯えていて少しの人にしか話すことが出来ませんでした。しかし、イエス様を救い主として受け入れバプテスマを受けた時、人に対して怯えていたわたしの心が明るくなり、一部の人にしか話せなかった私が、多くの人と話せるようになり、今では人にうるさがれるほど話すことが出来るようになりました。

教会の奉仕や伝道奉仕活動などをいろいろやって来ました。そんなある日、以前痛めていた腰が悪くなり、野外の伝道活動の奉仕中に体にトラブルが起きてしまい、全ての活動を一時止めなければならなくなってしまいました。そこで、自分の体に負担が少ない、礼拝とスモールグループの学び(毎回)、野外での聖書の学び(出られる時だけ)に活動を集中させました。今では、TBCの立川の礼拝で日曜日に奉仕をし、八王子で生活保護を受けながら生活をしています。

私1人では生活保護を申請ことも出来ませんでしたが、神様が聖霊を通して救いの手を差し出してくださり、神様の恵みを授かり、生活保護を受給することが出来ました。それによって、いろいろな所に行くことが出来るようになり、多くのホームレスの人たちと一緒に聖書の学びをしたり、触れ合いを持ったりすることが出来るようになりました。

でも、私は神様の道を今でも正しく歩んでいないかもしれません。それは、私が神様の助けを求めようとしなかったり、感情を制御しないで悪いうわさ話をしてしまったり、神様の悲しむようなことをしているからです。聖書にはこう書かれています。

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『[復讐はわたしのすること、わたしが報復する]と主は言われる』と書いてあります。」(ローマ12:19)

相手に対する悪いうわさ話を話したり聞いたりすることは、その人に復讐していることになります。悪いうわさ話をやめて、相手のために祈ってあげることが大切だということが少し分かって来ました。でも、それが出来ないことがあります。聖書を読むことが長続きしなかったり、罪から逃れようとしなかったり、神様が罪から逃れる道を備えてくださっているのに、自分自身がそれを見つけだそうとしなかったりするとき、私は自分自身の悪いよくの感情から抜け出すことが出来なくなってしまうのです。

こんな時には聖書の聖句を書き写しても自分自身の心に入ってきません。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたの成すべき礼拝です。」(ローマ2:1−2)

この世の悪い事に合わせるのではなく、神様に受け入れていただける献げものになりたいと願っています。

沼津克彦