ジャパンタイムズ(2016年6月19日)
By Baye Mcneil

日本の難民認定率のあまりの低さについて議論が沸騰している。法務省によると2015年に申請した7586人のうち、27人しか難民として認められなかった。(2014年は5000人中、11人。) 亡命希望者へ支援者たちが、迫害や暴力から逃れるために申請している人たちに対する認定拒否率の高さを批判しているにもかかわらず、安倍総理は難民問題に取り組む前にまず国民、特に女性と高齢者の問題を改善する必要があると主張している。

難民や亡命希望者たちにとって幸いなことに、日本難民支援協会(Japan Association for Refugees)のような団体が、適切な法的社会的支援を行ったり、この国での難民の権利を提唱したりするなどの援助活動を行っている。

また個人でも、日本にいる難民を助けるために共に歩もうという人たちがいる。そのような人の一人が アメリカ人のアレックス・イーズリー(Alex Easley)だ。彼は在日アメリカ人で、東京バプテスト教会のプリズン・ミニストリーを通して、収容所から解放されたばかりの抑留者たちに対する人道的支援をしている。ピッツバーブ生まれのイーズリーは、40年以上前に歌手としてまたファッションモデルとして日本にやって来た。

−−−わたしは、彼がどのように難民支援の働きに関わることになったのか興味があったので、彼が教会を通じて支援をしているとわたしに語ったときも驚きはしなかった。イーズリーは30年間渋谷にあるこの教会に通っている。
「教会には様々な委員会やミニストリーがあるんだ」とイーズリーは説明する。

「ホームレスのためのミニストリーや、囚人、難民、孤児への支援を行なっているミニストリーもある。僕はかつて毎年イースターにゴスペルコンサートを計画し、日本の孤児への支援金を集めていたんだ。この教会は国内からゴスペルクワイアチームを招き、そのお金を孤児院に寄付したり、高校生や大学生と一緒に子供たちをディズニーランドに連れて行くという活動をしていた。」

何年も子どもたちのために奉仕してきたが、教会活動のスケジュール変更がイーズリーの難民支援のきっかけになったという。

「孤児院ミニストリーの活動が、週末に変更になった。僕の仕事はたいてい週末なんだ。そんななかで刑務所訪問や難民支援のミニストリーの活動日は平日だった。それで、そっちの方をやってみようと思った。」

最初に、イーズリーは難民を取り巻く問題についてのトレーニングを受けたという。

1951年の難民条約によると、難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。

「亡命希望者」は迫害を受けて逃げている人であると理解されているが、「難民」はより一般的には、迫害以外にも戦争や震災などからの保護を求めているどのような人をも含むものである。

教会はこのようなグループの人たちへの奉仕をしようとしているメンバーに、難民に関する「ベシ、ベカラズ集」を教えている。

「僕たちの主な目標はイエスのことを伝えることなんだ」とイーズリーは言う。「イエスが愛であることを確信させることだ。やっていけないことに関してはというと、僕は『何かを約束すること』だと思う。保証人になったり、CDプレーヤをあげることも、約束はできない。」

イーズリーは「多くの難民たちが品川や横浜の移民局に拘留されているが、僕がよく行くのは茨城県牛久にある東日本入国管理センターだ。そこには移民を監禁するための日本で一番大きい収容所があるんだ」と言う。この施設は法務省によって運営されており、約700人の男女を収容している。それは1993年に横浜の入国管理局が収容者で溢れた時に造られたという。

−−−わたしは、このようなことについて知らなかったので、イーズリーの活動について大変興味をもった。

「ビザを持たずに日本にきた難民は、成田空港で1ヶ月ほど留め置かれる。空港のスタッフは彼らを帰国させようとする。しかし、彼らが帰ることができない場合、または帰ることを拒否した場合、彼らは茨城に送られるんだ」とイーズリーは言う。

「難民には2種類いる。成田空港で留められた人と、ビザを持って日本に入って、品川で難民申請をする人だ。しかし、後者でも労働許可を得られるのは申請してから6ヶ月後だ。それまでの6ヶ月をどうやって生活するかが大きな問題だ。RHQ (Refugee Assistance Headquarters)も支援を行っているが、その支援を受けるまで2、3か月かかることもある」と言う。

「難民は、食べ物や衣服と寝る場所が必要だ」とイーズリーは言う。「教会は交通費を出すことはできるが、彼らには宿泊場所がない。ここに僕が個人的に入り込む余地があるんだ」とイーズリー。

−−−ここでわたしは、彼が言っていることを整理するためにちょっと間を置かなければならなかった。そして理解した。インタビューのこの時点までは、わたしは、自分がインタビューしているこの男は難民を助けるために彼の自由時間の一部だけを捧げている男なんだと思っていた。そしてそれはそれで十分に印象的ではあったのだが・・・しかしそんなものじゃなかったのだ。

「僕のアパートは6畳のスペースと5畳分のキッチンがあるんだけど、もしみんなが必要だったら泊まらせてあげるんだ、そして・・・」

「あなたは難民を自分の家に泊まらせているの?」とわたしは思わず聞き返した。

「そうよ。」
「うそだろ。」
彼は笑った。「去年の夏は一部屋に14人だったよ」と、彼は大口で歯を見せて笑いながら言った。「彼らのほとんどはナイジェリア、カメルーンからの人たちだった。そして中国人の男も1人いたかな。そして・・・イエス様、ありがとう・・・その時はちょうど下の階の部屋が空いていたので、そこにも数人泊まることができたんだ。そんな生活が3ヶ月ぐらい続いたかな。」
−−−わたしは、彼らが日本でどんな生活を望んでいるのだろうと思った。

「そうだね、それは彼らがどんなタイプの難民かということにかかっているな」とイーズリーは説明する。「もし、その人たちが成田で捕まって、9ヶ月から10ヶ月入国管理センターに留め置かれているというようなタイプであれば、彼らにとって必要なのはそこから出るための保証人と居住住所、それから10万円から30万円の保証金が必要だ。彼らは働く許可はもらえないが、農業、リサイクル、工事現場などで、日本人がやりたがらない仕事に就くことが多い。そして彼らは2ヶ月ごとに品川に行って延長手続きをする必要がある。」

「空港を通過することができた人は、もし6ヶ月待てば就業許可を持っているので、工場での給料のいい仕事や、ホテルやレストランなどで働くことができる。」

−−−わたしは、このような人たちがどのようにして何週間もイーズリーの家に住むことになったのかということに興味があった。
「ああ、それはね、長い話になるんだ」とイーズリー。「誰かが誰かを知っていて、それをまた誰かが知っているという感じで、人づてに、『この人を泊めることができないか』というような電話がくるんだ。それがほとんどだね。そして僕が住む四谷には難民支援センターがあって、僕の家に泊まっている人がそこに行って、行き場所のない人を見かけたりすると・・・そんな感じで話が広まって・・・そして僕は誰も追っ払ったりはしたくないし。」

−−−わたしはイーズリーに、彼が行なってきたことにどれだけ感銘を受けたかということを伝えた。同時にわたしは、何がイーズリーにとって知らない人たちを自分の家に招き入れるモチベーションになっているのかをもっと知りたかった。

「僕が最初に日本に来た時、みんなが助けてくれたんだ」と、彼は言う。「そう、まだ来たばかりの頃、そして僕が困難な状況にあった時、日本人の友人がしばらく引っ越しをするからと言って僕のことを彼らの家に住まわせてくれたんだ。しかも彼らが戻ってきた時でさえ、僕が独り立ちできるまで彼らのアパートを提供してくれた。僕は祝福されたんだ。だからその祝福を他の人にも分け与えていきたいんだ。」

「14人というのは、もうやらない」とイーズリーは強調する。「今は、4、5人といった扱いやすい数に押さえておこうと思っている。でも僕の家のドアはいつでもオープンさ。教会も少しサポートしてくれる。教会は、牛久まで行く交通費を払ってくれる、またもし誰かが必要だということであれば、難民にとって必要な様々なもの、歯磨き粉や歯ブラシ、洋服、眼鏡といったものも供給してくれる。彼らはそういった物を提供してくれるんだ。」

しかし、教会は住宅のための責任を負うことはできない。なぜなら、「例えばけがとか事故とかがおきたら教会は責任を負わなければならないだろう」とイーズリーは説明する。「教会は僕の活動のことを知っている。でも、もし何か起こったとすれば、それは僕の責任だよ」とイーズリーは言う。

また「政府は気にしていない。お客さんが泊まっているという感覚だ」とイーズリーは話す。「でも労働許可をもらうまで働くことができない人たちがいる。収容所に入っている人は、入国管理局が来ても捕まることはない。でも、もし労働許可をもらうまで6か月待つはずの人が働いているとろに管理局が来たら、彼らは捕まって収容所に入れられ、全てを剥奪されてしまう。これは複雑な状況なんだ。でも、ほとんどの難民は働き、 母国にお金を送ることができている。少数の人の失敗がみんなに迷惑をかけている。」

「例えば」、とイーズリーは言う。「ある酔っぱらった難民が、ある晩のこと、別の難民の家の窓を全部割ってしまったんだ。その時は、その難民に好意で家を提供している人がその修理代を全部自費で支払わなければならなかったんだ。」

「僕は経済的支援を必要としてこなかった。多くの組織が難民への食べ物を支援してくれるから。例えばセカンドハーベストや近くのカトリック教会が食べ物をくれる。だから誰も飢えていない。それはとてもすばらしいことだ。僕はイエスを信頼している。そして今のところみんなを賄うための食費や生活費のために困ることはない。」

「でも、僕たちには難民を訪問するボランティアがもっと必要なんだ」とイーズリーは続ける。「特に茨城の収容所を訪問する人が必要だ。もし茨城の収容所には遠くて行けないとしても、品川や横浜の収容所にも難民はいる。訪問できる時間は平日だけだ。平日は働いている人が多いから、ボランティアを見つけるのが難しい。もしあなたが訪問する場合には、事前に訪問するべき相手の名前を知っていなければならない。だから、難民を訪問したいと思う人がいたら僕に連絡してください。会うべき人たちの名前と彼らについての詳細をお伝えします。」